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No.7 観無量寿経と観経伽陀

 

 

 

 

大谷声明集上巻において、観経伽陀が収められているが、なぜこれが観無量寿経の伽陀とされるのか述べていこうと思う。

 

先ず、観経伽陀を訳してみると

 

瓔珞経(『菩薩瓔珞本業』、聖道門の経典)の中では、漸教(簡単な教えから始まり

高度な教え)を説く。

万劫の間(途方も無い時間)、功徳を修して、不退転(その状態から退くことはないが、悟りに至る途中の状態)を獲得する。(自力・難行道)

 

[その一方]観経や阿弥陀経等(無量寿経も含む浄土門の経典)は、即ち頓教(直ちに解脱できる教え)を説き、菩提藏(悟りに至る教え)なのである。(他力・易行道)

 

 ここでは、釈迦仏の教えを 聖道門の教えと浄土門の教えの二種類に分類している。では、なぜこれが観経伽陀であり、阿弥陀経や無量寿経の伽陀ではないのかといえば、観無量寿経の内容によるものと思われる。

 

 観無量寿経はどういった経典かといえば、経名に示されているように、無量寿仏(阿弥陀仏)を観るための経典であり、その手段は二種類説かれている。

 

 観仏をすることによって、生きている内に阿弥陀仏を観る

 念仏をすることによって、死後、浄土にて阿弥陀仏を観る

 

 先ず、観仏であるが、そのやり方は日想観に始まり、水想観、地想観と続き、十三もの観法が詳しく示されている。観無量寿経の約半分の文量を占めるほどであるが、これが観経伽陀前半部の漸教に対応する。

 

 一方、念仏は、悪行三昧を尽くした人が、死ぬ間際にまさに地獄に落ちようとする時に、念仏をするだけで、地獄から逃れて浄土に生まれるとされている。念仏は、観経伽陀後半部の頓教に対応する。

 

 以上の理由から、大谷声明集においては、観経伽陀として観無量寿経に割り当てられたと考えられる。

 

ついでに言うと、浄土系の宗門は念仏する以外に救済の道はないとする自覚から、念仏第一と解釈するが、経典そのものは観仏と念仏に優劣はつけていない。念仏者を分陀利華と讃嘆しているものの、観仏より優れているとまでは説かれていない。

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