No.2 『観無量寿経』(無量寿仏(阿弥陀仏)を観る経)畺良耶舎 訳 サンスクリット原典なし

 

【釈迦仏の説法】

 

説法の行われた場所

王舎城の耆闍崛山(霊鷲山)

 

説法の参加者

大比丘衆、千二百五十人

文殊を筆頭に菩薩、三万二千人

 

【王舎城の悲劇】(以下は概略)

 

阿闍世王子は悪友の調達(提婆達多)にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を幽閉する。

 

王妃の韋提希夫人は入浴して身体を清め、乳製品と蜜を小麦に混ぜたものを身体に塗り、瓔珞(装飾品)の中に葡萄の飲料を入れて、密かに王に差し出した。

 

頻婆娑羅王は食べ終わってから口を漱いで、耆闍崛山に向かって釈迦仏を礼拝し、次のように言う。「大目犍連は私の親友です。慈悲の心を興して私に八戒を授けて下さい」。目犍連は鷹や隼の如く素速く王の所に来て、毎日八戒を説いた。釈迦仏はまた富楼那を派遣して王のために法を説かせた。三七日(21日)経過し、身体も心も満たされたので顔の色は穏やかであった。

 

阿闍世は怒って言う「私の母は賊だ。沙門(目犍連と富楼那)は悪人であり、幻惑の呪術によってこの悪王(父の頻婆娑羅王)を何日も生かしている」

母の韋提希を殺そうとするが、月光と耆婆の二人の臣下に止められる。

「臣(私)が聞く所によると、毘陀論経(ヴェーダ聖典、古代バラモン聖典)には、『世界の始まりから多くの悪王がいて、王位を望んでその父を殺したものは一万八千にいた』とあります。しかし、無道にも母を害したことは聞いたことがありません。刹利種(貴族種)を汚すことであり聞くに忍びない。これは旃陀羅(非人)です。ここ(宮廷)に住することはできません」。阿闍世は韋提希を殺すのを断念し、幽閉した。

 

[韋提希は釈迦仏のいる]耆闍崛山に向かって釈迦仏を礼拝し、次のように言う。「・・・目犍連阿難を遣わしてください」。

[耆闍崛山にいた]釈迦仏は目犍連と阿難を伴って韋提希の所に赴く。

[釈迦仏の]身体は紫金色で、阿難を右に従え、目犍連を左に従え、百宝の蓮華に坐る。帝釈天、梵天、四天王は空中にいて天華を降らし、[釈迦仏を]供養する。

 

韋提希は釈迦仏に願う「憂いのない世界を説いて下さい。この世界は濁悪の世界であり、地獄・餓鬼・畜生が満ち溢れ、悪人が多いのです。来世には悪しき声を聞きたくないし、悪人を見たくないのです。清らかな行いのある世界(清浄業処)を観せてください

 

釈迦仏の見せた世界

七宝に飾られた世界 蓮華に飾られた世界 自在天の宮殿のような世界 玻璃の鏡のような世界。

しかし韋提希はそれらの世界では満足せず、極楽世界、阿弥陀仏の所に生まれることを望む。

[極楽に生まれるための]思惟(散心の観想)と正受(定心の観想)を教えてください。

 

釈迦仏の口から五色の光が出て、頻婆娑羅王の額を照らす。頻婆娑羅王は阿那含(阿羅漢に次ぐ不還の位)を獲得する

 

【極楽に往生する(阿弥陀仏を拝見する)為の手段の解説】

 

[第一に]

【浄業】三つの善行(三福)を修しなさい

1 父母に孝行する。師に仕え、慈悲を持って殺生せず、十善行を修める

2 三(仏法僧、三宝)に帰依し、戒律を守り、生活規範を破らない。

3 菩提心をおこして、因果を深く信じ、大乗経典を読誦し、[人々にこの]行いを勧める。

 

この三種の行為は浄業であり、過去未来現在の三世の諸仏の清らかな行いであり、[往生、成仏の]正因なのである。

 

―――――――――――『昭和法要式』初段終わり―――――――――――

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

如来今者 教韋提希 及未来世 一切衆生 観於西方極楽世界

 

如来(釈迦仏)は今、韋提希と未来世の一切衆生に西方極楽世界を観せしむ[方法を説く]

 

見彼国土 極妙楽事 心歓喜故 応時即得 無生法忍

 

かの国土の極めて素晴らしく、安楽な有り様を見れば、心は歓喜するから、すぐさま無生法忍(あらゆる存在は縁生であり、単独で生じるものはなにもないという悟り。仏教の悟りの本質である縁起・空の思想が浄土経典にあることに注意)を獲得する。(←後のαと対応)

 

[第二に]

【十三の観想】

 

1 日想

西方に沈む太陽を実際に観て、観想する。そして、西方(浄土)に思いをかける

2 水想

水を観想して氷を観想して浄土の瑠璃の大地を観想する

3 地想

浄土の瑠璃の大地を事細かく観想する

4 樹想

浄土の宝樹を観想する

5 八功徳水想

浄土の池の水を観想する

6 総観想

宝の楼閣を観想する。5までに宝地、宝樹、宝池を観想しているので、ここで浄土の全体像を観想することになる(総観)

  

――ここから『昭和法要式』二段目が始まる――

 

仏告阿難及韋提希 諦聴 諦聴 善思念之 仏当為汝 分別解説 除苦悩法 汝等憶持 広為大衆 分別解説

 

仏(釈迦仏)、阿難と韋提希に告げる。「あきらかに聞け、あきらかに聞け。よく、次の事を思念せよ。仏(釈迦仏)、お前たちのために、苦悩を除く法を考えて解説する。お前たちは記憶にとどめて、広く大衆のために考えて解説しなさい。」

 

説是語時 無量寿仏 住立空中 観世音大勢至 是二大士 侍立左右 光明熾盛 不可具見 百千閻浮檀金色 不得為比 時韋提希 見無量寿仏已 接足作礼 白仏言 世尊 我今因仏力故 得見無量寿仏 及二菩薩 未来衆生 当云何観 無量寿仏 及二菩薩

 

この語が説かれた時、無量寿仏(阿弥陀仏)は空中に住立した。観世音と大勢至の二人の菩薩は左右に侍立した。光明は燦燦と輝いて、見つくすことができないほどである。百千の閻浮檀金色さえも比較にならないほど[の輝き]である。時に、韋提希、無量寿仏(阿弥陀仏)を見終わって、足元に礼拝して、仏(釈迦仏)に言う。「世尊(釈迦仏)よ、私は今、仏力をもってして、無量寿仏と二菩薩を観ることができました。[釈迦仏が入滅していなくなった]未来の衆生はどうやって無量寿仏と二菩薩を観ることができるのでしょうか」

16は極楽世界の観想、713は無量寿仏と二菩薩の観想)

 

7 華座想

法蔵菩薩の誓願によって創られた蓮華を観想する

8 像想

阿弥陀仏の仏像と二菩薩(観音、勢至)の像を観想する

9 遍一切色身想

阿弥陀仏の身体を観想する

 

―――――――――――『昭和法要式』二段終わり―――――――――――

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

10 観世音菩薩真実色身想

観世音菩薩の身体を観想する

11 大勢至菩薩色身想

大勢至菩薩の身体を観想する

12 普想

極楽に生まれた自分を観想し、普(あまね)く、浄土、仏、菩薩を観想する

13 雑想

いろいろな大きさの阿弥陀仏を観想する

 

――ここから『昭和法要式』三段目が始まる――

 

【九品段】(先の十三観は禅定の出来る修行者に対して説かれたものであり、次に出てくる上品の十四観、中品の十五観、下品の十六観は禅定の出来ない凡夫に対して説かれたものである。また、先の十三観に比べて、観という意味合いは薄い

 

①どういった人であるか②往生の手段③臨終時の来訪者④往生、の四つで分類

 

1 上品上生者

 

 

1 至誠心、深心、廻向発願心の三つの心を発す者

2 慈悲の心を持って殺生せず、戒律を守っている者

3 大乗経典を読誦する者

4 六念(仏・法・僧・戒・捨・天)を修行する者

①の功徳をもって極楽に生まれようと願い、七日間その功徳を備え続ける

阿弥陀仏、観世音、大勢至、無数の化仏、百千の比丘、声聞の大衆、無数の諸天

すぐに無生法忍を得て、十方諸仏から将来仏になると保証され(授記)、無量の陀羅尼を身につける

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

2上品中生者

 

大乗経典を必ずしも読誦するわけではないが、意味を理解し、最高の真実を聞いても動じず、因果の理を信じる

①の功徳をもって極楽に生まれようと願う

阿弥陀仏、観世音、大勢至、無量の大衆、眷属

一小劫後に無生法忍を得て、将来仏になると保証される(授記

 

3上品下生者

 

因果の理を信じ、無上道の心(菩提心)を発す

①の功徳をもって極楽に生まれようと願う

阿弥陀仏、観世音、大勢至、諸々の眷属、五百の化仏

三小劫後に百法明門を得る

 

4中品上生者

 

五戒を受持し、八戒斎及び、諸々の戒律を守る

①の功徳をもって極楽に生まれようと願う

阿弥陀仏、諸々の比丘、眷属

阿羅漢の地位を獲得し、三明、六通、八解脱を得る

 

5中品中生者

 

    一日一夜、八戒斎、或いは、沙弥戒、或いは、具足戒を守る。

①の功徳をもって極楽に生まれようと願う

阿弥陀仏、諸々の眷属

半劫後に阿羅漢の地位を獲得する

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

6中品下生者

父母に孝行し、世間の人々に慈悲を行う。

阿弥陀仏の国土が安寧であることと、法蔵比丘の四十八願を善知識によって説かれるのを聞く

特に示されていない

一小劫後に阿羅漢の地位を獲得する

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

7 下品上生者

多くの悪業を行なって全く反省しない。五十億劫の生死の罪を背負う人物

善知識が彼のために大乗十二部経の経題を称え、彼に合掌させ、南無阿弥陀仏と称えさせる。

化仏、化観世音、化大勢至

十小劫後に百法明門を得る

 

8下品中生者

五戒、八戒、具足戒を犯す。教団や僧侶のものを盗み、恥じることがない。地獄に堕すべき人物

善知識が彼のために、阿弥陀仏の十の仏力の偉大な徳と、仏の光明の神力を説き、戒律、禅定、智慧、解脱、解脱知見を称えることを聞く

化仏、化菩薩

六劫の間、蓮の中にいて、観世音、大勢至によって、菩提心を起こす

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

9 下品下生者

五逆、十悪をなし、多くの不善をなす。悪道(地獄)に堕し、何劫も苦を受けるべき人物

善知識によって、無量寿仏(阿弥陀仏)の名を称えるべきとすすめられ、南無阿弥陀仏と称える

特に示されていない

十二劫の間、蓮の中にいて、観世音、大勢至によって、菩提心を起こす

 

(上品上生から、下がっていくに従って、臨終時のお迎えの面々のランクが下がり、人数も少なくなっている。さらに、往生時の有り様もかなりの差が認められる。また、下品の極楽往生の手段として念仏が挙げられているが、念仏は下品さえも救う最上の手段というよりも、最後の手段といえる。極楽往生しても直ぐに蓮から出られないし。それでも、最後に念押しされる後のβがこの経の要

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

以上の話を聞いて、韋提希は極楽世界、仏(阿弥陀仏)、二菩薩(観音、勢至)を観て無生法忍(あらゆる存在は縁生であり、単独で生じるものはなにもないという悟り)を獲得する。(←前のαと対応)(韋提希は極楽でなく、現世最高の悟りの無生法忍を獲得しているのに対し、頻婆娑羅王が獲得したのは一段低い階位の阿那含だった違いが見られる。無量寿仏を見ていないからか)

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

【経名・経の要】

 

此経名観極楽国土 無量寿仏 観世音菩薩 大勢至菩薩                 

亦名浄除業障 生諸仏前                              

 

この経を、「極楽国土、無量寿仏、観世音菩薩、大勢至菩薩を観る[経]」(観無量寿経)、経名1

または「[念仏によって]業障を除き浄め、諸仏の前に生まれる[経]」と名付ける。      経名2

 

行此三昧者 現身得 無量寿仏 及二大士 (←経名1の観極楽国土 無量寿仏 観世音菩薩 大勢至菩薩)

 

この[観仏]三昧(前に説かれた十三の観法)を行ずる者は、生きてるうちに無量寿仏と二菩薩を見る

 

若善男子善女人 但聞仏名 二菩薩名 除無量劫 生死之罪 何況憶念 若念仏者 当知此人 是人中分陀利華 観世音菩薩 大勢至菩薩 為其勝友 当座道場 生諸仏家 (←経名2の浄除業障 生諸仏前)

 

善男子善女人が、仏の名前と二菩薩の名前を聞くだけでも、無限に続く生と死の罪(迷いの世界に輪廻転生すること)を除くことができる。[名前を聞くだけでそうなのだから]憶念するものはなおさらである。念仏する人、この人は人中の分陀利華(汚れた世界に咲く見事な蓮)であると知るべし(正信偈では、是人名分陀利華)。観世音菩薩と大勢至菩薩は勝れた友となる。[念仏者は]道場(悟りの場)に座る、[すなわち]諸仏の家(極楽)に生まれるでしょう。 

 

汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名

 

汝(阿難)よ、好くこの語を持て。この語を持つとは、無量寿仏(阿弥陀仏)の名を持つ(念仏)ということである。(β、阿弥陀経では執持名号

 

【結び】

 

此語時 尊者目犍連 阿難及韋提希等 聞所説 皆大歓喜

 

仏(釈迦仏)が、この言葉を説いた時、尊者目犍連、阿難、韋提希達は仏(釈迦仏)の所説を聞いて皆、大いに歓喜した。

 

爾時世尊 足歩虚空 還耆闍崛山 爾時阿難 広為大衆 説如上事 無量諸天 及龍夜叉 聞仏所説 皆大歓喜 礼仏而退

 

その時、世尊(釈迦仏)は足で虚空を歩み、耆闍崛山に還った。その時、阿難は広く大衆のために、今までのことを説いた。無数の天人、龍、夜叉は仏の所説を聞いて、皆大いに歓喜し、仏(釈迦仏)に礼拝して、退出した。


 

『観無量寿経』とは、経名に示されているように、阿弥陀仏を観る方法が説かれた経典である。

大きく、観仏と念仏という二種類の方法が説かれる。

観仏という手段によれば、娑婆世界において現世に阿弥陀仏を観ることができる。

念仏という手段によれば、極楽世界において阿弥陀仏を観ることができるが、それは現世ではなく、命終後の来世である。

 

戻る