No.9 浄土往生は死後か否か

 

   2017/12/05

 

 

はじめに

 

 

浄土真宗にとって浄土という世界は宗門の名前の一部になるほどであるから、極めて重要な概念であることは疑いがない。その浄土は死して後の死後往生か、生きたまま現前する現世往生か、ここで考察しようと思う。なお、本論は実体視された浄土に生まれる生まれないといったことを論ずるものではなく、浄土往生の時期についての論考である。

 

先ず、この問題を考えることになった経緯を説明しよう。私は20年ほど昔、大谷大学の大学院において仏教学科に在籍し、仏教思想を学んだ。仏教学科の他に、真宗学科があり、そこでは宗祖親鸞聖人(以下、親鸞と表記)の思想を中心に学ぶ。私は真宗学の授業をいくつか受講したものの、真宗聖典のつまみ食いになってしまい、体系的、総合的に真宗学を学ばなかった。その結果として、お念仏の教えとか、親鸞の思想とか、大切な教えを充分に把握していないのではないかと感じるようになった。そこで、親鸞の主著である『教行信証』を最初から全文読むことにした。「総序」、「教の巻」、「行の巻」と読み進めるうちに、『教行信証』は、親鸞の単なる個人的な信仰告白ではなく、諸経典に基いて念仏成仏を論証する学術論文でもあると感じた。また、その論証方法は、浄土教が主要経典とする『無量寿経』に依拠しながらも、『無量寿経』だけでなく、その異訳の『大阿弥陀経』や『平等覚経』、『如来会』も引用するものであり、可能な限りの全ての仏典を参照するという近代仏教学の方法論に通じるものがあるなと驚いたものである[1]。そして、さらに読み進めるうちに、「信の巻」の次の一文で戸惑ってしまった。

 

  念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。

(『真宗聖典p.250

 

 これはどうみても臨終往生であり、死後往生としか判断できない。しかも、経典や聖教からの引用ではなく、親鸞自身による釈であるから、重要な文言であり、そのままの意味で捉えねばならない。しかし、私は大谷大学では、死後往生は間違いで、現世往生が正しいと複数の真宗学の先生から教わっていた。私が習ったのは「我々は分別が苦の原因となっている娑婆世界に生きている。お念仏の教えに出遭うことによって、分別を離れた真実の世界が開かれる。それが浄土に生まれるということであり、真の仏道はそこからはじまる。死後往生は虚妄なる分別が生み出したものにすぎず、浄土は死んでから往くような世界ではない」。うろ覚えで恐縮だが、だいたいこのような内容だったと思う。そこに念仏が介在する意味が今一つわからなかったが、そんなものかと納得していた。というのも、2500年にわたる仏教思想では現世に成仏する(悟りを開く)ことはありふれた思想だからである。空性思想は、娑婆と浄土を区別しないし、唯識思想においては、迷いの識を転じて無分別の智を得る。なによりも、歴史上実在した人物であるお釈迦様は、現世の娑婆世界で悟りを開いて仏になっている。さらに、現世で悟りを得て仏になる話は、多くの仏典に普通に出てくる。そうであるから、浄土真宗も普通に現世で往生して成仏するんだなと思っていた。ところが、先の引用を見てもわかるように、親鸞は死後往生を述べている。これは一体どういうことかと思案し、お東(東本願寺)のホームページで調べたが、不思議な事に浄土往生について何も書かれていない。そこで、お西(西本願寺)を見てみた。お西では次のように述べられていた。

 

  浄土真宗の教えとは?

  阿弥陀仏(あみだぶつ)のはたらきによって信心を恵まれ、念仏する人生を歩みます。この世の縁が尽きる時、浄土

  に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教え導きます。

http://www.hongwanji.or.jp/faq/

 

お西では死後往生だということがはっきりと見て取れる。お東はどうなのかと、いろいろ調べた結果、なんと浄土往生が定まっていないことが判明して愕然とした。古くは曽我量深氏が現世往生を主張し、弟子の金子大栄氏は死後往生を主張した。今に至っては、大谷大学元学長である寺川俊昭氏をはじめとする多くの真宗学の権威ある先生方は現世往生的な主張(現世往生を主張しなくても、死後往生を認めていない場合も含む)をし、大谷大学仏教学名誉教授の小谷信千代氏は、死後往生が正しいとする立場から、寺川氏達に反論しているのが現状のようである。

 

 現世往生と死後往生は相容れない概念である以上、どちらも正しいということはありえない。正しい間違いは別にするとしても、親鸞はどちらか一方の立場に立った筈である。そのことを確かめるために、本稿では、浄土経典における浄土往生はいかなるものかを示し、親鸞や蓮如は浄土往生をどのように考え、最後にお東が現世往生を支持することになったことについて考察してみようと思う。

 

 

第一章 浄土三部経に説かれる浄土往生

 

 

 まず、『阿弥陀経』から見てみよう。

 

舍利弗、若有善男子善女人、聞阿彌陀佛、執持名號、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七

日、一心不亂、其人臨命終時、阿彌陀佛、與諸聖衆、現在其前。是人終時、心不顛倒、即得往生、阿彌陀佛、極樂國

土。

(『真宗聖典』p.129

 

舍利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、ある

いは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、その人が

命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。そこでその人が

いよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

(『浄土三部経(現代語版)』p.223 浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 2012年)

 

下線部に注目すれば、『阿弥陀経』は臨終往生であり、死後往生であると判断できると思う。

 

 では、次に『観無量寿経』を見てみよう。『観無量寿経』はその経名からも伺えるように、無量寿仏(阿弥陀仏)を観る方法が説かれた経典である。そこでは大きく分けて観仏と念仏という二種類の方法が説かれている。観仏という方法をとれば現世で阿弥陀仏に拝見できるので、現世で成仏することは可能であるが、浄土真宗では、観仏という方法はとらない。そこで、ここでは念仏往生の箇所をみてみよう。下品上生者と下品下生者の段に二箇所述べられているが、同じ構造なので、ここでは下品下生者だけを挙げることにする。

 

下品下生者、或有衆生、作不善業 五逆十惡。具諸不善 如此愚人、以惡業故 應墮惡道。經曆多劫、受苦無窮。如

此愚人、臨命終時、遇善知識、種種安慰、爲妙法、敎令念佛。此人苦逼、不遑念佛。善友告言。汝若不能念者、應

稱無量壽佛。如是至心、令聲不絶、具足十念、稱南無阿彌陀佛。稱佛名故、於念念中、除八十億劫 生死之罪。命終

之時、見金蓮華。猶如日輪、住其人前。如一念頃、即得往生 極樂世界。

(『真宗聖典』p.120

 

下品下生について説こう。もっとも重い五逆や十悪の罪を犯し、その他さまざまな悪い行いをしているものがいる。

このような愚かな人は、その悪い行いの報いとして悪い世界に落ち、はかり知れないほどの長い間、限りなく苦しみ

を受けなければならない。この愚かな人がその命を終えようとするとき、善知識にめぐりあい、その人のためにいろ

いろといたわり慰め、尊い教えを説いて、仏を念じることを教えるのを聞く。しかしその人は臨終の苦しみに責めさ

いなまされて、教えられた通りに仏を念じることができない。そこで善知識はさらに、〈もし心に仏を念じることが

できないのなら、ただ口に無量寿仏のみ名を称えなさい〉と勧める。こうしてその人が、心から声を続けて南無阿弥

陀仏と十回口に称えると、仏の名を称えたことによって、一声一声称えるたびに八十億劫という長い間の迷いのもと

である罪が除かれる。そしていよいよその命を終えるとき、金色の蓮の花がまるで太陽のように輝いて、その人の前

に現れるのを見、たちまち極楽世界に生れることができるのである。

        (『浄土三部経(現代語版)』p.209

 

極悪非道で地獄に堕ちるしかないような人間でも、阿弥陀仏にすがって念仏を称えることによって、極楽に生まれることができるとされる内容である。では、いつ極楽にうまれるかというと、下線部を見ていただければわかるように、死後であり、『観無量寿経』も死後往生なのである[2]

 

 最後に『無量寿経』を見てみよう。

 

諸有衆生、聞其名號、信心歡喜、乃至一念。至心回向。願生彼國、即得往生、住不退轉。

(『真宗聖典』p.44

 

 これは第十八願に関する記述であるが、「即得往生」という語を、それをそのまま、往生が即得されるとするならば、現世往生のように見える。しかし、金子大栄氏と櫻部建氏による親鸞著述の『一念多念文意』の読解によって、すぐに得られるのは往生そのものではなく、往生することが確定した不退転の位と推定されている[3]が、ここでは、漢訳の元になっている原典のサンスクリット訳を参照してみよう。

 

  およそいかなる衆生たちであっても、かの世尊アミターバ如来の名を聞き、聞きおわって、たとえ一たび心を起こす

  ことだけでも、浄信にともなわれた深い志向をもって心を起こすならば、かれらはすべて、無上なる正等覚より退転

  しない状態に安住する

(『新訂 梵文和訳 無量寿経・阿弥陀経』p.124 藤田宏達訳 法蔵館 2015年)

 

 獲得されるのは、往生ではなく、不退転の位であることがよくわかる。では、往生はいつなのかといえば、その後に続く三輩段に述べられている。上輩、中輩、下輩とあるが、構造はどれも同じなので、ここでは下輩だけを挙げることにする。

 

  其下輩者、十方世界 諸天人民、其有至心 欲生彼國。假使不能作諸功德、當發無上菩提之心、一向專意、乃至十念、

  念無量壽佛、願生其國。若聞深法、歡喜信樂。不生疑惑。乃至一念、念於彼佛、以至誠心、願生其國。此人臨終、夢見

  彼佛、亦得往生。功徳智慧、次如中輩者也

(『真宗聖典』p.46

 

  次に下輩のものについていうと、すべての世界の天人や人々で、心から無量寿仏の国に生まれたいと願うものがい

て、たとえさまざまな功徳を積むことができないとしても、この上ないさとりを求める心を起し、ひたすら心を一つ

にしてわずか十回ほどでも無量寿仏を念じて、その国に生れたいと願うのである。もし奥深い教えを聞いて喜んで心

から信じ、疑いの心を起さず、わずか一回でも無量寿仏を念じ、まことの心をもってその国に生れたいと願うなら、

命を終えようとするとき、このものは夢に見るかのように無量寿仏を仰ぎ見て、その国に往生することができ、中輩

のものに次ぐ功徳や智慧を得るのである。

(『浄土三部経(現代語版)』p.74

 

  功徳を積むことが出来ない人間であっても、浄土往生を願い、疑う心なく念仏すれば、浄土往生することができるとされる内容である。ではいつ往生するのかといえば、下線部を見ればわかるとおり、死後であり、『無量寿経』も死後往生を説く経典であることがわかる。

 

 『阿弥陀経』、『観無量寿経』、『無量寿経』のいずれの経典も念仏往生に関しては死後往生を説く経典であり、そこには現世往生は全く認められない[4]

 

 

第二章 親鸞の往生理解

 

 

 第一章において、浄土経典は死後の浄土しか認めてないことを示した。このことを念頭において、『教行信証』を改めて読んでみると、親鸞が思い描いた浄土は死後のことだということがよくわかる。『教行信証』は浄土経典を礎として作成された聖教であるから、死後往生が説かれるのは当然のことと言えよう。まず初めに、『教行信証』における『阿弥陀経』に関する往生について見てみよう。下線部に注目されたし。

 

  『弥陀経』に云うがごとし、「もし衆生ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、すなわち名号を執持すべし。もしは一

日、もしは二日、乃至七日、一心に仏を称して乱れざれ。命終わらんとする時、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と、現

じてその前にましまさん。この人終わらん時、心顚倒せず、すなわちかの国に往生を得ん

(『真宗聖典』p.175 『往生礼讃』からの引用)

 

  釈迦、一切の凡夫を指勧して、この一身を尽くして専念専修して、捨命已後定んでかの国に生まるれば、すなわち十

方諸仏、ことごとくみな同じく讃め同じく勧め同じく証したまう。

(『真宗聖典』p.217 『観経疏』散善義からの引用)

 

  念仏法門は愚智・豪賤を簡ばず、久近・善悪を論ぜず。ただ決誓猛信を取れば、臨終悪相なれども十念に往生す。こ

れすなわち具縛の凡愚・屠沽の下類、刹那に超越する成仏の法なり。

(『真宗聖典』p.238 『阿弥陀経義疏』からの引用)

 

次に『観無量寿経』に関する往生は次の通り

 

 今生にすでにこの益を蒙れり。命を捨ててすなわち諸仏の家に入らん、すなわち浄土これなり。 

(『真宗聖典』p.249 『観経疏』散善義からの引用)

 

  『観無量寿経』に言うがごとし。「人ありて五逆・十悪を造り、もろもろの不善を具せらん。悪道に堕して多劫を径

歴して無量の苦を受くべし。命終の時に臨みて、善知識教えて南無無量寿仏を称せしむるに遇わん。かくのごとき心

を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足すれば、すなわち安楽浄土に往生することを得て、すなわち大乗正定

の聚に入りて、畢竟じて不退ならん、三塗のもろもろの苦と永く隔つ。」

(『真宗聖典』p.274 『往生論註』からの引用)

 

  また『観経』の中に、上輩の三人、命終の時に臨みて、みな阿弥陀仏および化仏「与に」この人を来迎す、と言え

り。

(『真宗聖典』p.318 『観経疏』玄義分からの引用)

 

 続いて、『無量寿経』に関する往生は次の通り

 

  我作仏せん時、他方仏国の人民、前世に悪のために我が名字を聞き、および正しく道のために我が国に来生せんと欲

わん。寿終えてみなまた三悪道に更らざらしめて、すなわち我が国に生まれんこと、心の所願にあらん。しからずは

我作仏せじ、と。

(『真宗聖典』p.159 『平等覚経』(『無量寿経』の異訳)からの引用)

 

  「摂生増上縁」と言うは、『無量寿経』の四十八願の中に説くがごとし。仏の言わく、「もし我成仏せんに、十方の衆

生、我が国に生まれんと願じて我が名字を称すること、下十声に至るまで、我が願力に乗じてもし生まれずは、正覚

を取らじ」と。これすなわちこれ、往生を願ずる行人、命終わらんとする時、願力摂して往生を得しむ。かるがゆえ

に摂生増上縁と名づく。

(『真宗聖典』p.177 『観念法門』からの引用)

 

  『大経』の願に言わく、設い我仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修し、心を至し発願

して、我が国に生まれんと欲わん。寿終の時に臨んで仮令大衆と囲遶して、その人の前に現ぜずは、正覚を取らじ、

と。

(『真宗聖典』p.327 『無量寿経』からの引用)

 

 上記の浄土三部経以外の経典の浄土往生に関する記述は以下の通り。

 

  願わくは、我、阿耨多羅三藐三菩提を成り已らんに、無量無辺阿僧祇の余仏の世界の所有の衆生、我が名を聞かん

者、もろもろの善本を修して我が界に生まれんと欲わん。願わくはそれ捨命の後、必定して生を得しめん。ただ、五

逆と、聖人を誹謗せんと、正法を廃壊せんとを除かん、と。

(『真宗聖典』p.161 『悲華経』からの引用 『無量寿経』の十八願に相当)

 

  願わくは我阿耨多羅三藐三菩提を成り已らんに、その余の無量無辺阿僧祇の諸仏世界の所有の衆生、もし阿耨多羅三

藐三菩提心を発し、もろもろの善本を修して、我が界に生まれんと欲わん者、臨終の時、我当に大衆と囲繞して、そ

の人の前に現ずべし。その人我を見て、すなわち我が前にして心に歓喜を得ん。我を見るをもってのゆえに、もろも

ろの障礙を離れて、すなわち身を捨てて、我が界に来生せしめん、と。

(『真宗聖典』p.327 『悲華経』からの引用 『無量寿経』の十九願に相当)

 

  『大悲経』に云わく、「いかんが名づけて「大悲」とする。もし専ら念仏相続して断えざれば、その命終に随いて

んで安楽に生ぜん。もしよく展転してあい勧めて念仏を行ぜしむる者は、これらをことごとく、大悲を行ずる人と名

づく」と。

(『真宗聖典』p.247 『安楽集』の『大悲経』からの引用)

 

  最後に、浄土教を信奉する論師達による浄土往生に関する記述を示そう。

 

  慈雲法師の云わく、ただ安養の浄業、捷真なり。修すべし。もし四衆ありて、また速やかに無明を破し、永く五逆・

十悪重軽等の罪を滅せんと欲わば、当にこの法を修すべし。大小の戒体、遠くまた清淨なることを得しめ、念仏三昧

を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当にこの法を学すべし。臨終にもろもろの怖畏を離れしめ、心身安

快にして衆聖現前し、授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れてすなわち不退に至り、長劫を歴ず、すなわち

無生を得んと欲わば、当にこの法等を学すべし。

(『真宗聖典』p.186 『観経義疏』からの引用)

 

  「須臾に西の岸に到りて善友あい見て喜ぶ」というは、すなわち衆生久しく生死に沈みて、曠劫より輪回し迷倒し

て、自ら纏うて解脱に由なし、仰いで釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙り、また弥陀の悲心招喚した

まうに藉って、今ニ尊の意に信順して、水火ニ河を顧みず、念念に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命已

かの国に生まるることを得て、仏とあい見て慶喜すること何ぞ極まらんと喩うるなり。

(『真宗聖典』p.221 『観経疏』散善義からの引用)

 

  仰ぎ願わくは一切往生人等、善く自ら己が能を思量せよ。今身にかの国に生まれんと願わん者は、行住座臥に、必ず

須らく心を励まし己に剋して、昼夜に廃することなかるべし。畢命を期として、上一形にあるは少しき苦しきに似如

たれども、前念に命終して後念にすなわちかの国に生まれて、長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに

生死を径ず、あに快しみにあらずや。知るべし、と。

(『真宗聖典』p.244 『往生礼讃』からの引用)

 

  仰ぎて惟みれば、釈迦はこの方にして発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼に喚ばい此に遣わす。あに去か

ざるべけんや。ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべ

し。と。

(『真宗聖典』p.283 『観経疏』玄義分からの引用)

 

西方寂静無為の楽は、畢竟逍遥して有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること等しく

して殊なることなし。帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな径た

り。到る処に余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢えて後、かの涅槃の城に入らん、と。

(『真宗聖典』p.321 『観経疏』定善義からの引用)

 

  畢命を期として、専ら念仏すべし。須臾に命断うれば、仏迎え将てまします。  

(『真宗聖典』p.338 『般舟讃』からの引用)

 

 重複した内容は割愛したが、『教行信証』において、親鸞はこれだけ多くの死後往生に関する記述を引用しているのである。現世往生に関する引用は殆ど見られず[5]、浄土往生は死後のことだと親鸞が了解していたことがよくわかると思う。そうであるから、冒頭に挙げたように「念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。」と、親鸞は表明したのである。お西が死後往生を公式見解としているのは、このように論拠があるからである。

 

次に、いくつかの聖教を見ていくことにする。先ずは、親鸞が作成した和讃から。解釈によって死後とも現世ともとれる往生を抜き出しても意味があるとも思えないので、死後としかとれない和讃を挙げると以下のとおり。

 

六十有七ときいたり[6] 浄土の往生とげたまう そのとき霊瑞不思議にて 一切道俗帰敬しき

(『真宗聖典』p.492 曇鸞和尚9

 

命終その期ちかづきて 本師源空のたまわく 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし

(『真宗聖典』p. 499 源空聖人14

 

本師源空命終時 建暦第二壬申歳 初春下旬第五日 浄土に還帰せしめけり

(『真宗聖典』p. 499 源空聖人20

 

 その一方で現世としかとれない和讃は一つも認められなかった。続いて、親鸞著述の『西方指南抄』。

  

  ツノトノ三郎トイフハ。武藏國ノ住人也。〈略〉聖人根本ノ弟子ナリ。ツノトハ生年八十一ニテ。自害シテ。メテタ

  ク往生ヲトケタリケリ。故聖人往生ノトシトテ。シシタリケル。モシ正月二十五日ナトニテヤアリケム。コマカニタ

  ツネ記スヘシ

(大正新脩大藏經テキストデータベース T2674_.83.0909c15

   つのとの三郎は、武蔵国の住人である。〈略〉源空聖人の本からの弟子である。つのとの三郎は八十一歳で、自害し

  てめでたく往生を遂げた。故聖人の御往生の年齢であるから、と言って、自ら死を選んだのである。あるいは聖人の

  命日の正月二十五日あたりであったのかも知れない。詳しく聞いて書き付けようと思う。

(『親鸞「西方指南抄」現代語訳』p.292 新井俊一 春秋社 2016年)

 親鸞が自死を容認している記述は興味深いが、ここにおいては、親鸞が浄土往生は死後であると了解していることが明確に見て取れる。

 

 最後に『歎異抄』における親鸞の述懐を見てみることにする。

  なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。

(『歎異抄』 九 『真宗聖典』p. 630

 

  浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ

(『歎異抄』 十五 『真宗聖典』p. 637

 

 「かの土にしてさとりをばひらく」のはいつかといえば、この章の始めに唯円の説明として「来生の開覚は他力浄土の宗旨」とあるので、来生、つまり死後なのである。

 

私は、全ての親鸞の著述は読んでいないので、ひょっとしたら現世往生としかとれない記述があるのかもしれない。もしあるのならば教えて頂きたいが、親鸞の主著である『教行信証』は死後往生しか説いていないことから鑑みて、親鸞は往生は死後と考えていたと結論づけていいと思う。

 

 

第三章 蓮如の往生理解

 

 

 浄土真宗中興の祖、蓮如はどうかといえば、蓮如の理解も死後往生だと思う。ここでは、『御文』と『蓮如上人御一代記聞書』から、死後往生としかとれない記述を抜き出してみよう。

 

  そもそも当年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠におかされてねぶたく候は、いかんと、案じ候えば、

不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候う。

(『御文』1-6 『真宗聖典』p.766

 

  かように信ずる衆生を、あまねく光明のなかに摂取してすてたまわずして、一期のいのちつきぬれば、かならず浄土

におくりたまうなり。

(『御文』2-7 『真宗聖典』p.785

 

さていのちもつきぬれば、すみやかに真実の報土へおくりたまうなり。

(『御文』2-10 『真宗聖典』p.788

 

一期のいのちつきぬれば、かの極楽浄土へおくりたまえるこころを、すなわち「阿弥陀仏」とはもうしたてまつるな

り。

(『御文』3-2 『真宗聖典』p.797

 

阿弥陀如来の光明のうちにおさめおかれまいらせてのうえには、一期のいのちつきなば、ただちに真実の報土に往生

すべきこと、そのうたがいあるべからず。

(『御文』3-4 『真宗聖典』p.800

 

この本願を、ただ一念無疑に、至心帰命したてまつれば、わずらいもなく、そのとき臨終せば往生治定すべし。

(『御文』4-4 『真宗聖典』p.818

 

他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。(略)この一念、臨終までとおり

往生するなり

(『蓮如上人御一代記聞書』 1 『真宗聖典』p.854

 

弥陀をたのむところにて往生決定と信じて、ふたごころなく臨終までとおりそうらわば、往生すべきなり。

(『蓮如上人御一代記聞書』 11 『真宗聖典』p.856

 

我が身にかけてこころえば、六道輪廻、めぐりめぐりて、今、臨終の夕べ、さとりをひらくべし、という心なり

(『蓮如上人御一代記聞書』 308 『真宗聖典』p.913

 

 蓮如においても、親鸞と同様に死後往生としかとれない言説は見られるが、現世往生としかとれない言説はみられない。以上のことから、蓮如も往生を死後往生としか考えていなかったと判断できると思う。では、お東が現世往生を支持するようになったことについて考察してみよう。

 

 

第四章 変質したお東の教義

 

 

私は、親鸞は現世往生を説き、その伝統が継続して今でも引き継がれていると思っていたが、今回勉強してみて、親鸞は死後往生しか説いておらず、お東においては、昭和の末期に現世往生へと転換していったことを知った。江戸教学、あるいはそれを引き継ぐ伝統教学を少しでも学べば、浄土往生は死後往生が正統であり、現世往生は異端説であることは明白である[7]。にもかかわらず、伝統教学の理解とは異なる現世往生が支持されるようになったのは、伝統教学を学んでいなかったり、学んだとしても不合理なものとして切り捨てているからに他ならない。不勉強な私に至っては、死後往生を正統としていた伝統教学を学んでおらず、現世往生は親鸞以来続いていた伝統教学とさえ思っていたほどである。

 

 ここで、お東の伝統教学に伝わる死後往生についていくつかみてみよう。特に何らかの意図があるわけでもなく、たまたま手元にあった書籍の引用にすぎないが、以下は暁烏敏氏の見解

 

臨終に至るまで、念仏をしきりに称える人も、その称名の功によりて助からんとするのではなく、今にも命が終わら

ば浄土に往生できる、その往生の期が近づくに従いて、いよいよ弥陀をたのみ、ご恩を報じたてまつるというならば、

めでたいことである。

(『歎異抄講話』p.405 講談社学術文庫)

 

この他力で浄土に往生するという道は、現在この肉身が仏になるというものではなく、この世では光明摂取の中にお

いていただいて、死後には、仏の御国にうまれて、仏果の悟りを開くというのである。

(前掲書p.416

 

次は、先に挙げた「念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。」の解説として

 

念佛の衆生は、他力横超の金剛心を頂いて居るから、この娑婆の生命の終り次第に、一足飛びに飛び越えて大般涅槃

を證るのである。

(『教行信證講義 信證の巻』p.859 山辺習学 赤沼智善 法蔵館 1951年)

 

 いずれも、死して後に往生するという死後往生であるが、恥ずかしながら私はお東において、こういった死後往生の教説があって、それが継承されてきた時期があったことさえ知らなかったのである[8]。それがなぜ切り捨てられていったのかは次章で説明するとして、それでは、お東において、この死後往生は、いつごろまで継承されていたのだろうか。鈴木大拙氏の講演の記録によって、ほんの数十年前まで継承されていたことが明らかになる。さらに、鈴木大拙氏の思想がお東の現世往生の原型の一つ[9]になっていると私は考えており、以下に述べていくことにする。これは、1958年ニューヨークの米国仏教アカデミー主催の講演会における氏の発言。

 

この往生はいわゆる死の後にあるのではありません。そういう信心の篤い人にとっては、至心にナムアミダブツを称

えるとき、自分が浄土に生れるというよりも、浄土そのものが創造され、浄土が現成するのです。だから、われわれ

が浄土へ行くというよりも、浄土がわれわれのところへ来るのです。ある意味で、われわれは浄土を携えて歩いてい

ます。そしてナムアミダブツというあの不思議な成句を称えるとき、われわれは、自分のまわりにというよりむしろ

自分の中に浄土が現在することを自覚するのです。

(『鈴木大拙 真宗入門』p.14 佐藤平 訳 春秋社 1983年)

 

 一読していただければ、死後往生を否定し、浄土を現世に求めていることは明白である。お東の僧侶で死後往生を否定している人が、この文章を読めば、特に違和感なく受け入れるかもしれない。しかし、親鸞は現世に心のあり方で浄土を見出すこと(唯心の弥陀、己心の浄土)は、「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」(『真宗聖典』p.210)と明確に否定している。鈴木大拙氏のこの発言は、氏の思想的背景にある禅宗の教説(座禅を組んで瞑想し、心に仏や浄土を思い描く)に基づくものであると理解せねばならない。碩学の仏教学者である鈴木大拙氏は、浄土教における浄土往生は死後のことであることは当然理解しており、自己の禅宗における浄土理解とは相容れないことを承知していることは次の発言に伺える。

 

  アミダとその浄土はこの世に現われています。伝統的説教者の所説と違うかもしれませんが、浄土は西方の何兆マイ

ルも離れたところにあるのではない。私の解釈では、浄土はまさしくここにあるのです。具眼の人はここで浄土を見

ることができます。アミダは遠くにあるところの浄土を統制しているのではなく、アミダの浄土はこの穢土そのもの

であります。こういうふうに語れば、今や私の浄土に関する見解が普通に行なわれている伝統的な浄土の説明とまっ

たく対立するものであることは明白です。

(前掲書p.9

 

現世に浄土を見出す鈴木大拙氏の禅宗に基づく見解は、お東の伝統的な浄土の説明とは対立するということは、お東の伝統的な浄土は死後往生であることを示している。そして、この講演が行われた1958年は、まだ死後往生が正統だったことが判明する。さらに、この講演の訳者である佐藤平氏の1983年の解説として、上記の一連の発言に対して、「いささか真宗の教学に親しんだ者の眼で見ると、多少はらはらさせられるようなこの種の発言」(前掲書p.155)とあるように、1983年頃もまだ死後往生が正統であったことが伺える。この講演において、鈴木大拙氏は、聴衆に対して死後往生から現世往生へと誘引することに腐心しており、その甲斐あってか、現在のお東は現世往生が主流になってしまった。私の所持しているお東の宗教書のいくつかは、驚くべきことに鈴木大拙氏の見解そのものであった。

 

このような黄金や七宝や美しい音楽があるところが極楽なのではなく、何もないのにあるように思える境地に導くた

めに作られた話なのです。しかも死んでから行くようなところでもありません。〈略〉清らかな西方浄土に思いをは

せることによって、人々の心は清められていきました。心が清められていけば今住んでいる場も清められていくので

あり、迷っている自分が本当の自分に目覚めさせられ、救われていることに気づくようになるのです。ほかでもなく

今ここで極楽浄土の境地に住まわせられていると気づくようになるのです。

(『誰でもわかる浄土三部経』p.26-27 加藤智見 大法輪閣 1999年)

 

西方十万億土のかなたにあるユートピアであるとか、または、人間的なものの一切を受け付けない彼土というのな

ら、死んでから行くしか仕方のない世界であると考えてしまう。しかもそれが一般的な通念にまでなっている。しか

しもともと仏典で説かれる浄土は、われわれの分別で考えられる世界ではない。仏道として説かれる世界なのだか

ら、むしろわれわれの分別が破られた自覚の世界を浄土と説いているのである。

(『シリーズ親鸞 第七巻 親鸞の説法 歎異抄の世界』p.135 延塚知道 筑摩書房 2010年)

 

自我によって見られた世界が娑婆なら、本願によって転じられた主体に開かれる境界を真実報土という。したがって

親鸞の場合は、実体として在る浄土に生まれ変わるのではなくて、「他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を

とぐるなり」というように、本願が成就した人の所に、本願の方から開かれる世界を真実報土と言う。したがって浄

土教で往生と表現していることは、大乗仏教の「転識得智」と別のことではない。「転識得智」とは、特に唯識思想

において説かれるもので、如来の智慧を得て自我の認識が転じられることである。

(前掲書p.199

 

 禅宗の人が書いた書籍ならともかく、これは浄土真宗の高名な先生方によるものなのである。唯識思想は大乗仏教の教説であることに異論はない。しかし、親鸞は先にも示したように「自性唯心(唯識と同義)に沈みて浄土の真証を貶す」として唯識思想に基いて浄土を了解することを明確に否定しているのである。このシリーズ親鸞は、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌記念として出版されたものであり、著者の個人的な見解ではすまされず、お東の公式見解と受け止められてもおかしくはない。ここで、死後往生を正統とする伝統教学が多少なりとも残っていたら、「死後ではなく現世に浄土を見出すのは禅宗の考え方であり、それは浄土門ではなく聖道門の教えではないか」という批判も出て来ようが、教義は変質しているので、そういった批判はなされず、現世往生が根強く残ることになった。こういった現世往生に対して、批判されないといっても、それはお東内での話であって、外部からの批判があれば、また状況は変わってくるはずであるのだが、不思議なことに、外部ともいえるお西からは特に批判らしきものはなかったようである。お東とお西は、お東の大谷大学とお西の龍谷大学の間に学問的な交流もあり、各々の本山や別院等の講義や講演で講師を招きあったりもしている。お西は当然お東の教義が変質していることに気づいているはずであるのに、無関心でいるのはなぜだろうか。自宗に影響がなければ交流がある手前、敢えて波風を立てる必要もないと判断したのかもしれない。ただ、岩波書店が『仏教辞典』を出版した際に、「教行信証」と「親鸞」の項目に現世往生の記述があった時には、自宗に影響があると判断したのだろう、見過ごすことはできなかったようだ。

  

  去る平成二年七月二十一日の毎日新聞紙上に次のような記事が掲載された。

  『岩波仏教辞典』に訂正を申し入れ

  浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺=京都市下京区)は、岩波書店が昨年十二月に出版した「岩波仏教辞典』(編

集、中村 元・東大名誉教授ら四氏)の記述に不適当な点がある、として二日、同社に訂正を申し入れた。

  同派の指摘によると、「教行信証」の項目で「この世での往生成仏を説いた」とあるが、親鸞は「命終わって浄土に

往生して直ちに成仏する」と説いているのであり、現世でいのちあるうちに成仏する、というのは明らかな誤りで

す。▽「親鸞」の項目で「他力(阿弥陀仏の力)信心による現世での往生を説き」とあるが、「現世での往生を認め

ていない」とする学者が多く、一方の説のみを記述するのは不適当という。」

(「極楽浄土にいつ生まれるのか?」 ―『岩波仏教辞典』に対する西本願寺派(原文ママ)からの訂正申し入れをめぐ

っての論争―中村 元 『東方』第六号 1990年)

 

 この記事が出てから、岩波書店に対して、お東とおぼしき人々から抗議があったようである。

 

  記事が出てから、岩波書店編集部へ幾つも電話がかかって来たが、それらの大方は次の二つの特徴があった。

 (Ⅰ)本願寺派からの申し入れに屈してはならぬ。辞典の記事を書き改めてはならぬ、というのである。

 (Ⅱ)電話をかけて来られた人々は、殆んどすべて浄土真宗大谷派(東本願寺)に属する方々であった。

(引用前掲論文)

 

 その後、『東方』誌上で、さまざまな論文が発表された。その成果を踏まえてだろうか、岩波『仏教辞典』の第二版では、現世往生説は多くの説の一つとされた。お東のホームページにおいて、浄土真宗の教えがお西のように明瞭に説かれていない(201712月現在)のは、岩波のこの件があるからかもしれない。もし、現世往生を公式に表明した場合、お西から、聖道門に陥ったお東は浄土真宗の看板を外せとのクレームもあり得る。現在は情報化社会であるから、論争が起きた場合、耳目を集めるのは当時とは比較にならない。もし、公開討論が行われ、世間一般に現世往生が否定されれば、いままで出鱈目な教説を流布してきたのかと非難されかねないし、なにより教団の権威が失墜する。そういったリスクがあまりにも大きいから公式見解がだせないのではないかと考えるのは私の邪推であろうか[10]

 

 

第五章 お東が現世往生になったのはなぜか

 

 

お東において、現世往生を強く提唱したのは、先に挙げた世界的な仏教学者である鈴木大拙氏と近代教学の泰斗、曽我量深氏[11]である。両者は、偉大な宗教者であり、現世往生における影響力は大きかったことには疑いがないが、それだけで、現世往生がお東の僧侶の一般的な通念になったとは考えられない。私は、宗教に合理主義を持ち込んだことにも原因があると考えている。それについて、ここからは、私の経験に基づいて述べていこう。私は、大谷大学を離れ、僧侶としての道を歩むことになる。法務の一環として、葬儀も執り行うが、その時に、葬儀に一体どんな意味があるのだろうかと考えたものである。というのも、死後往生は間違いで、現世往生なのだから、葬儀はやる必要があるのだろうかと。それでも、まあ、昔からそうなんだし、みんなやってることだし、それはそれでそういうもんなんだろうなという日本人的な思考で、問題意識はなくなった。それから56年程経ち、名古屋別院の教化センターで、大谷大学大学院真宗学を修了された某先輩と話す機会があった。単なる世間話から始まり、葬儀の話題になったので、死後往生は間違いで現世往生が正しいとするならば、葬儀はどんな意味があるのでしょうかと尋ねてみた。私の言葉のニュアンスから、私が死後往生を認めていると判断されたようで、「そんな死後の世界みたいなものを信じているのか?」とか、「現実に行った人がいるのか?と詰問された。当時は、特に信じてたわけでもないし、まあそうですねと同意したものである。今になって、改めてこのことを考えてみると、宗教にそういった合理主義や現実主義を持ち込んだら、もはやそれは宗教とは言えないのではないだろうか。キリスト教の聖職者が、神によって人間が創られたという聖書の記述が信じられないからといって、ダーウィンの進化論を持ち出して人間は猿から進化したなどと主張したら、それはもはやキリスト教徒ではない。本稿の第一章で浄土三部経の浄土往生をみてきたが、死後往生しか認められなかった。そして、次に親鸞と蓮如の浄土往生をみてきたが、いずれも死後往生であった。にもかかわらず、自分の常識に当てはまらないからといって死後往生を認めず、現世往生に固執するのならば、それは浄土真宗の信徒とはいえないのではないだろうか。

             

 そもそも、親鸞は何になろうとしたのだろうか。それはもちろん悟りを開いて仏になろうとしたのである。比叡山において二十年修行しても、とてもそれが実現するとは思えない。このままでは、生まれ変わりを繰り返し、六道輪廻[12]を永遠に抜け出すことが出来ないという絶望感があったに違いない。そこで、自分の力ではもはや成仏の道は有り得ないとの自覚から、全てを阿弥陀仏に委ねたのである。二心なく阿弥陀仏を信じれば、最期は浄土に生まれさせてもらえる。そして、浄土において仏になることが出来るという教えを浄土経典に見出したのである。では、いつ浄土に生まれるかという時期が問題になるわけだが、浄土経典に明確に述べられてるとおり、命終後なのである。親鸞が所依の経典とする浄土経典を勝手に解釈して、現世で往生すると考える事自体ありえないではないか[13]

 

 さらに、その某先輩は、葬儀は亡くなった人の為にあるのではない。葬儀に参加する人が、葬儀という機縁によって仏法やお念仏の教えに遭うことに葬儀の意義があるとも言っていた。その場には、教化センターの職員が何人もいて特に異論を唱えるわけでもないので、その先輩の個人的な特殊な見解というわけではないようだ[14]。当時は、近代教学はそういう考え方なんだなと、なんだか釈然としないまま、それでもそういうものかと一応納得したと思う。改めて、この問題を考えてみると、やはりこの考え方は正しいとは思えない。葬儀を機縁として、仏法に出遭うことはあるとしてもそれはあくまで結果的にそうなっただけにすぎないことであり、そんなことを目的としている遺族はいないし、なによりも亡くなった人の為に葬儀を行っているのである。遺族にしてみれば、故人の浄土往生を願う意識はないかもしれないが、少なくとも、故人の安らかな成仏を願っているはずだ。にもかかわらず、葬儀を主導する僧侶が故人の為ではなく葬儀参加者の為にという意識では、遺族の願いに背いていることにならないだろうか。宗教に合理主義をもちこんだが為に、死後の浄土往生が信じられなくなる。そして、葬儀の意義が失われ、仏法に出遭う場だという理屈が出てきたのだろうか。

 

 浄土往生は死後のことであるならば、浄土真宗は生きている人の為の教えではないのではないかと思われる人がいるかもしれないが、そうではない。現世の利益があることが『教行信証』に説かれていることを指摘しておこう。

 

  金剛の真心を獲得すれば、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。一つには冥衆護

持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには

心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。

(『真宗聖典』p.240

 

 この箇所は、経典や聖教からの引用ではなく、親鸞自身の釈であるから、浄土真宗において重要な教えであることは言うまでもない。さらにいえば、これは念仏者の現世の益であり、先に挙げた「念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。」は当来(死後)の益であり、現当二益という二益法門は浄土真宗の要となる教義なのである。にもかかわらず、死後の浄土往生を合理的理由により排除してしまうと、現世だけの一益法門になり、浄土真宗ではなくなってしまうのではないのか。合理的な理由から死後の浄土往生が認められないのは、結局のところ、信仰心の問題に行き着くのではないだろうか。

 

 

おわりに

 

 

 『教行信証』の「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」という一文によって思索を重ねた結果、浄土往生に関して、ここまで自分の考え方が変わるとは思ってもみなかった。私は、浄土往生は死後か否かについて親しいお東の僧侶十数人に聞いてみたが、死後往生を信じている僧侶は一人もいなかった。真宗学と距離をおいていた仏教学の私(真宗学の授業は5つぐらいしか受講していないと思う)でも普通に現世往生を信じていたのだから、真宗学の高名な先生方の現世往生を身近で聞いていた真宗学の人達はなおさらだろう。彼らに現世往生の理由を聞いてみると、そのように習ったとの回答が多かった。常識的に考えて、死後の浄土往生はないと思うという意見もあった。この現世往生の立場に立った場合、「人は死んだらどうなるのか」という宗教上の当然あり得る問題に対してどう答えるのだろうか。お西の場合は、浄土に生まれて、そこで仏になるという明確な答えがあるが、現世往生が主流のお東は答えを出せていない[15]身の回りで私が実際に聞いた答えは、「死んだことがないからわからない」という直截的な意見がいくつかあった。あるいは、「仏様にお任せする」。しかし、この意見は死後往生が前提にならないと言えないことなので、現世往生を支持している人が言うと違和感がある。私が在籍した大谷大学では、死んだらどうなるという議論はほとんどなかったように思う。むしろ、死んでからではなく、今なぜ生きているのか、これからどう生きていくのかという課題ばかりであった。それはそれで意味があることだと思うが、死後の答えがはっきりしない宗教ははたしてどうなんだろうとも思うし、このことは、お東のホームページで明確に答えるべき問題であると思う。

 

追記

 

御意見、御感想等は下記アドレスへ。

aab90280@pop13.odn.ne.jp

http://kichun.kitunebi.com/

 



[1] 『無量寿経』の異訳には他に『荘厳経』がある。それを親鸞が全く引用していないのは、『荘厳経』は他の四経に比べて最も訳出年代が遅く(宋の法賢訳。991年)、すでに遣唐使は廃止(894年)されていたので、当時の日本にまだ無かったからだと思う。

 

[2] 下品上生者と下品下生者は、念仏を手段として、極楽往生を遂げるのであるが、それ以外の者達(上品上生者・上品中生者・上品下生者、中品上生者・中品中生者・中品下生者、下品中生者)は、念仏ではなく、大乗経典を唱えるとか、戒律を保つ、あるいは親孝行をするといったそれぞれの方法でもって極楽往生を遂げ、しかもそれが全て命終後であることに注意せねばなるまい。つまり、『観無量寿経』においては、観仏という方法をとれば、現世で阿弥陀仏を観ることができても、浄土において阿弥陀仏を観るのは、現世ではなく命終後なのである。

 

[3] 『誤解された親鸞の往生論』p.17 小谷信千代 法蔵館 2016

 

[4] 『無量寿経』において、念仏以外の往生も認められる。三悪道で苦しんでいる者達が、阿弥陀仏の光明を浴びた時(若在三塗 勤苦之處、見此光明、皆得休息、無復苦惱。壽終之後、皆蒙解『真宗聖典』p.31)や、観世音菩薩と大勢至菩薩が娑婆世界で菩薩行を修した後(一名觀世音。二名大勢至。是二菩薩、於此國土、修菩薩行。命終轉化、生彼佛國。『真宗聖典』p.51)である。下線部に注目すれば、いづれの場合も、死後往生として説かれる。

 

[5] 死後往生でない記述は無いわけではない。

 

『華厳経』(入法界品・晋訳)に言わく、この法を聞きて、信心を歓喜して疑いなき者は、速やかに無上道を成ら

ん、もろもろの如来と等し、となり

(『真宗聖典p.230

 

 しかし、親鸞は現世往生を示す為に、『華厳経』を引用したのではなく、信心を得ることがいかに大切かを示すために引用したのにすぎないことは、前後の他の引用経典からも明らかである。 

 

[6] 曇鸞は六十七で臨終を迎えた(曇鸞476-542

 

[7] 江戸時代の大谷派宗学大成者である香月院深励は現世往生を認める者を異解者扱いし、伝統教学を引き継ぐ金子大栄氏は、現世往生を観念遊戯と断ずる。香月院深励と金子大栄氏の死後往生理解については『真宗の往生論 親鸞は「現世往生」を説いたか』(小谷信千代 法蔵館 2015年)に詳しいのでそちらを参照のこと。この書籍は、お東の僧侶で死後往生を認めていない人は読むべきだと思う。しかし、研究書的な構成で難しい内容になっているので、その後出版された『誤解された親鸞の往生論』(小谷信千代 法蔵館 2016年)を先に読んだほうがいいと思う。こちらはだいぶ平易な内容になっている。

 

[8] お西は冒頭に挙げたお西のホームページの記述にもあるように現在も死後往生を貫いている。お西の僧侶の書籍を一冊ここで紹介。

 

  浄土真宗の考え方では、生きているときに阿弥陀さまの願いを聞き、お念仏を申す人は、この世のいのちが終わると

  阿弥陀さまの国に生まれて、仏さまになります。

(『朝には紅顔ありて』p.143 大谷光真(浄土真宗本願寺派第24代門主) 角川文庫 2009年)

 

[9] 他には、曽我量深氏の説がある。曽我量深氏の現世往生説とその誤謬は、先に挙げた小谷氏の書籍を参照のこと

 

[10] 親鸞会は死後往生を説かないお東に対して名指しして批判しているにもかかわらず、お東は沈黙している。反論しないことは、お東で通説にもなっている現世往生が間違いだと認めることになるのだが。

「自性唯心」の巻

http://shinrankai.or.jp/b/tannisyou/hiraku-comic23.htm

 

[11] 曽我量深氏は、最晩年の病床で、金子大栄氏の死後往生に理解を示すようになったようである。金子大栄氏(91歳)が曽我量深氏(96歳)のお見舞いの席で

 

わたしは金子先生のお話は長い間わかりませんでした。いま、やっと、少しばかりわかりました。〈略〉・・・・・・それで、

まあ、金子先生からして、彼岸の世界ということ、ずっと昔からお聞きしておるのでありますけれども、それがなか

なか、鈍根の機でありまするからして、よくいただかれないで、それが、このごろ、やっと、いろいろ少しばかりわ

からしていただきまして、未来の安楽浄土、自然法爾の世界・・・・・・南無阿弥陀仏。

『金子大栄著作集 別巻三 真宗の教義と其の歴史』(春秋社、201511 KINOKUNIYA WEB STOREp.345

 

[12] 現代人の感覚からすれば、六道輪廻の世界観は受けいられ難いかもしれないが、だからといって親鸞は比喩的に使っただけで、六道輪廻のような迷信を信じていたわけではないと了解すべきではない。当時には当時の常識があり、親鸞も六道輪廻を当然の事象として信じていたのである。このことは『教行信証』等の記述からも明らかである。

 

[13] もし、親鸞が現世往生を考えていたなら、現世に浄土を見出す『般若経』や『華厳経』等を所依の経典としていたはずである。死後往生しか説かれていない浄土経典を所依の経典として、なおかつ現世往生として了解することは論理的ではない。

 

[14] 名古屋東別院のホームページに質疑応答のコーナーがあり、このことは、そこの質問にも見て取れる。http://www.ohigashi.net/images/pdf/faq03.pdf

質問 亡き母を供養するために納骨、永代経、法事などを勤めてきました。しかしお手次の住職に「亡くなった人のためじゃない」と怒られました。意味がわかりません。

 

[15] お東のホームページの質疑応答コーナーに「人は死んだらどうなるの?」http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/leaflet/08.htmlがあるが、その答えが、現在を問いなさいでは、質問の答えになっていない。身近に死が迫っている人が現在を問わなければなんて言われても、絶望感さえ感じるのではないのか。

 

 


 

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