No.3 『無量寿経』(康僧鎧 訳 サンスクリット原典あり)               

 

前提として、無量寿仏は阿弥陀仏のことであり、仏になる前身は法蔵菩薩。

釈迦仏の対論者、大経上巻は阿難、下巻は阿難及び弥勒

 

【釈迦仏の説法】

 

説法の行われた場所

王舎城の耆闍崛山(霊鷲山)

 

説法の参加者

大比丘衆、一万二千人

大乗の多くの菩薩達

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

【菩薩の八相示現と自利利他】(サンスクリット文献にはなし)

 

釈迦仏の説法の場に集まる菩薩達の説明。分量はかなり多い

 

釈迦仏の歩みと同じように、菩薩達も、1 兜率天に住す 2 母の右脇から生まれて七歩歩く 3 王宮生活 4 老病死を見て出家5 降魔 6 成道 7 転法輪 8 入涅槃という道を歩む

 

悟りを開いて(自利)、衆生を救済する(利他)

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

【釈迦仏の出世本懐、智慧慈悲】(娑婆世界に出現した目的)

 

阿難、釈迦仏の顔が光顔巍巍と、気高く光り輝いていることに驚く

 

去来現仏 仏仏相念 得無今仏 念諸仏耶 何故威神 光光乃爾

 

過去未来現在の仏は、仏同士、念じあいます。今、仏(釈迦仏)は諸仏を念じているのではないですか。[そうでなければ、]どうして、このように神々しく輝いているのでしょうか。

 

如来以無蓋大悲 矜哀三界 所以出興於世 光闡道教 欲拯群萌 恵以真実之利

 

如来(釈迦仏)は覆い尽くせない大悲をもって、三界(迷いの世界)を憐れむ。世間に出現する理由は、仏教を広め、衆生を救って真実の利をもって恵むことを望むからである。

 

(釈迦仏が神々しく輝いていたのは、諸仏、とりわけ阿弥陀仏を念じていたからであり、衆生を救済したいという仏の大悲によって、以下、阿弥陀仏の教えを説くことにする。光顔巍巍という状態は智慧であり、阿難によって指摘されることを通して、それが単に智慧という状態に留まらず、出世本懐慈悲へと展開されている)

 

ここの箇所は正信偈において次のように示されている

如来所以興出世  唯説弥陀本願海  五濁悪時群生海 応信如来如実言

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

錠光如来(釈迦仏が菩薩だった時の師仏とされる)を始めとして、過去53仏を列挙する。次に登場する世自在王仏は54番目

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

世自在王仏(如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士調御丈夫、天人師、仏、世尊←如来の十号)

 

法蔵菩薩(阿弥陀仏の前身)は、国王であったが、世自在王仏の説法を聞いて、菩提心を起こし、国と王位を捨てて、沙門となり、世自在王仏に仕える。

 

【嘆仏偈】(法蔵菩薩が世自在王仏を賛嘆する偈頌←ここで賛嘆される仏は阿弥陀仏や釈迦仏でないことに注意。正信偈では、法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

 

嘆仏偈の光顔巍巍は、法蔵菩薩が世自在王仏を讃えた表現であり、先に出てきた阿難が釈迦仏を讃えた光顔巍巍に対応している。

 

内容は1 世自在王仏の賛嘆 2 法蔵菩薩の願(後の四十八願につながる)・智慧慈悲 3 諸仏によって認められることを願う(阿弥陀経における六方段)

 

【法蔵菩薩の願い(智慧慈悲)、五劫思惟

 

願仏為我 広宣経法 我当修行 摂取仏国 清浄荘厳 無量妙土 令我於世 速成正覚 抜諸生死 勤苦之本

 

願わくは、仏(世自在王仏)よ、私(法蔵菩薩)のために、経法を説いてください。[経法に従って、]私は修行し、[説かれた諸仏の]仏国を取り込んで、計り知れない素晴らしい国土を清浄して荘厳します(極楽を建立します)。私にこの世で、速やかに悟りを開かせて(智慧)、[人々の]迷いと苦しみの元を除かせてください(慈悲)。

 

於是世自在王仏 即為広説 二百一十億 諸仏刹土 天人之善悪 国土之麁妙 応其心願 悉現与之

 

ここにおいて、世自在王仏は、[法蔵菩薩の]為に、二百一十億の諸仏の国土の天と人の善悪、国土の優劣を広説し、その(法蔵菩薩)願いに応じて、ことごとくこれ(法蔵菩薩)に出現させた。

 

ここの箇所は正信偈において次のように示されている

覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪

 

時彼比丘 聞仏所説 厳浄国土 皆悉覩見 超発無上殊勝之願 其心寂静 志無所著 一切世間 無能及者 具足五劫 思惟摂取 荘厳仏国 清浄之行

 

時に、かの比丘(法蔵菩薩)、仏の所説を聞いて、素晴らしく浄められた国土(二百一十億の諸仏の国土)の全てを見て、[それらを超えた極楽世界を建立するために]この上なく勝れた願(四十八願)を起こす。その心は寂静で、志はとらわれるところがなく、一切世間に及ぶものはいなかった。五劫をかけて、仏国を荘厳する清浄の行を思惟して摂取した。

(五劫もの時間をかけて極楽建立に必要な修行を熟考して採用した。)

 

ここの箇所は正信偈において次のように示されている

建立無上殊勝願(極楽建立の願い) 超発希有大弘誓(四十八願) 五劫思惟之摂取 

 

法蔵菩薩は、誓願(四十八願)を表明するよう世自在王仏に促される。

 

―――――――――――『昭和法要式』初段終わり―――――――――――

 

【四十八願】(法蔵菩薩による誓願)

 

【三誓偈(重誓偈)】(法蔵菩薩による偈頌)

誓不成正覚と三回誓うから三誓偈。四十八願の誓いから、重ねて誓うから重誓偈。

 

三誓偈の名声超十方は、正信偈の重誓名声聞十方

 

 

―――――――――――『昭和法要式』二段終わり―――――――――――

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

【兆載永劫の修行】

法蔵菩薩が誓願どおりの極楽浄土を建立するために、途方も無い時間をかけて自利利他の菩薩行(三宝を敬う、・無相・無願を悟る、六波羅蜜を実践する等々)を修める

 

ここまでが「如来浄土の因」(極楽建立の原因)、続いて「如来浄土の果」(結果としての極楽)

 

――ここから『昭和法要式』三段目始まる――

 

【極楽世界】

 

法蔵菩薩 今已成仏 現在西方 去此十万億刹 其仏世界 名曰安楽

 

法蔵菩薩、今すでに仏になって、現に西方にいます。ここ(釈迦仏のいる娑婆世界)を去ること十万億刹であり、その仏の世界は名付けて安楽(極楽)と言う

 

成仏已来 凡歴十劫

 

成仏よりこのかた、およそ十劫を経る

 

其仏国土 自然七宝 金銀瑠璃 珊瑚琥珀 硨磲碼碯 合成成地 恢廓曠蕩 不可限極

 

その仏国土は自然の七宝、すなわち、金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、硨磲、碼碯が合わさって地面となって、広々として限りがない。

 

清浄荘厳 超踰十方 一切世界

 

清浄なる荘厳は、すべての世界を超えている

 

又其国土 無須弥山 及金剛鉄囲 一切諸山 亦無大海小海 溪渠井谷 仏神力故 欲見則見 亦無地獄 餓鬼畜生 諸難之趣 亦無四時 春秋冬夏 不寒不熱 常和調適

 

又、その国土に須弥山や金剛山や鉄囲山といった山々はなく、大海小海、渓谷もない。[そうではあるが、]仏の神力によって見ることを望めば現れる。また、地獄や餓鬼や畜生といった苦の世界もなく、春夏秋冬の四季もなく、寒くも熱くもなく、快適な世界である。

 

この後の問答(極楽世界と娑婆世界の対比)

阿難「須弥山がないのなら、[極楽の]天人はどうやって住するのでしょうか。」

釈迦仏「では、[娑婆世界の]天人は、何を原因として[須弥山に]住しているのか?」

阿難「それぞれの行いを原因として[須弥山に]住しているのであり、その理由は思い量ることはできません」(←因果応報説)

釈迦仏「それぞれの行いを原因として住し、思い量ることができないのは、阿弥陀仏の世界でも同じである。功徳の善力を原因として、もたらされた世界(極楽世界)に住んでいるにすぎない。(須弥山がなくても問題のない世界であり、そのことは思い量ることはできない)」

 

――ここから『昭和法要式』略――

 

【阿弥陀仏の属性その1 無量光仏】(正信偈では南無不可思議光12

 

無量寿仏 威神光明 最尊第一 諸佛光明 所不能及

 

無量寿仏の神々しい光明は最も尊く第一にして、[他の]諸仏の光明の及ぶところではない。

 

無量寿仏 無量光 無辺光 無礙光 無対光 焰王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光 難思光 無称光 超日月光

 

無量寿仏は、無量光仏~超日月光仏とも呼ばれる

 

ここの十二光は正信偈において、全て一致。しかも順番通り。

(普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照)

 

 

其有衆生 遇斯光者 三垢消滅 身意柔輭 歓喜踊躍 善心生焉 若在三塗 勤苦之処 見此光明 皆得休息 無復苦悩 寿終之後 皆蒙解脱

 

衆生がいて、その光にあう者は三垢(貪・瞋・痴、後の【三毒段】と関連)が消滅し、心身は柔和になって歓喜踊躍し、善心が生じる。三塗(地獄・餓鬼・畜生)という苦しむ場所にいたとしても、その光明を見れば、皆休息を得て、二度と苦しむことはない。命終わって、皆、解脱をこうむる

 

 

 

若有衆生 聞其光明 威神功徳 日夜称説 至心不断 隨意所願 得生其国

 

衆生あって、その光明の勝れた功徳を聞いて、いつもほめ称え(念仏)、こころをこめて絶えることがないならば、願いにしたがって、その国(極楽)に生まれることができる。

 

【阿弥陀仏の属性その2 無量寿仏】(正信偈では帰命無量寿如来13

 

無量寿仏の寿命は計り知ることができない。また、極楽の声聞、菩薩、天人、人の寿命も計り知ることができない。

さらに、声聞や菩薩達の数も計り知ることができない。

 

【極楽の荘厳】

 

七宝に飾られた樹樹、菩提樹、音楽、池、極楽の住人、蓮の花

 

これらが、阿弥陀経より詳しく説かれる。極楽の住人は、食べたいものや、望むもの全てが、思うがままに手に入り、その容貌は他の世界の何者よりも優れている。

 

ここまでが「如来浄土の果」(結果としての極楽)

 

――『仏説無量寿経』上巻終わり、下巻――

 

上巻において、阿弥陀仏の浄土が建立される因と果が説かれたので、下巻においては衆生が浄土に往生する因と果が説かれる。

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

【極楽往生の手段】

 

生彼国者 皆悉住於正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚(11願)

 

彼の国に生まれる者は、皆、悉く正定聚(悟りを開くことが決定している人)に住する。理由は、邪聚(悟りとは無縁の邪な人)や不定聚(悟りを開くかどうか定まっていない人)は無いからである。

 

十方恒沙 諸仏如来 皆共讃嘆 無量寿仏 威神功徳 不可思議(17願、阿弥陀経の六方段)

 

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転 唯除五逆 誹謗正法(18,衆生往生の因である念仏

   

――ここから『昭和法要式』略――

 

【上輩・中輩・下輩、臨終来迎】(観経における九品段)

 

極楽に往生したいと願う人に三種ある。①どういった人か②臨終時の来訪者③往生の三つで分類

 

1 上輩

    出家して沙門となり、菩提心をおこして、阿弥陀仏を念じ(念仏)、諸々の善根を積む

② 阿弥陀仏と多くの人々

③ 不退転の位を得て、智慧が優れ、自由自在な神通力を得る

 

2 中輩

    出家はしないが、菩提心をおこして、阿弥陀仏を念じ(念仏)、多少の諸々の善根を積む

② 阿弥陀仏の化仏と多くの人々

③ 上輩に次ぐ

 

3 下輩

①  諸々の善根を積むことは出来ないが、菩提心をおこして、阿弥陀仏を念ずる(念仏)

② 夢のように阿弥陀仏を見る

③ 中輩に次ぐ

 

上輩・中輩・下輩の全てにおいて、菩提心をおこして念仏ずれば、命終後に極楽往生できることが示されている。

 

【往覲偈(おうごんげ)】

 

十方世界の菩薩達が極楽にって阿弥陀仏に(お目にかかる)

 

十方世界の無量の菩薩達は阿弥陀仏の所に参詣し、恭敬し供養し、阿弥陀仏から経法を拝聴し、それを自国の衆生に伝授する。

 

【極楽の菩薩】(漢文のみで和訳をつけてない箇所は流し読みしてください)

 

1 一生補処

 

彼国菩薩 皆当究竟 一生補処 除其本願 為衆生故 以弘誓功徳 而自荘厳 普欲度脱 一切衆生(22願)

 

有二菩薩 最尊第一 威神光明 普照三千大千世界 ・・・ 一名観世音 二名大勢至是二菩薩 於此国土 修菩薩行 命終転化 生彼仏国 

 

二人の菩薩あって、最尊第一である。神々しい光明は三千大千世界を普く照らす。・・・観世音菩薩大勢至菩薩であり、この国土(釈迦仏の娑婆世界)において菩薩行を修して、命終わりて転化し、彼の仏国(極楽)に生まれる

 

其有衆生 生彼国者 皆悉具足 三十二相(21願)

 

2 供養諸仏

 

彼国菩薩 承仏威神 一食之頃 往詣十方無量世界 恭敬供養 諸仏世尊(23願)

 

随心所念 華香伎楽 繒蓋幢旛 無数無量 供養之具 自然化生 応念即至(24願)

 

3 聞法供養

 

2 供養諸仏」においては、菩薩達は他の仏国土の諸仏を供養したのに対し、この段では、菩薩達が自国(極楽)において阿弥陀仏の説法を聞き、天人達によって供養される。

 

4 説法自在

 

諸菩薩等 所可講説 常宣正法 隨順智慧 無違無失(25願)

 

5 自利利他

 

15において、48願の中のいくつかの願文が登場するが、大経上巻において法蔵菩薩の建てた48誓願が、大経下巻において阿弥陀仏となって成就したことが示されている。

 

【三毒段】(サンスクリット文献にはなし)

 

三毒(貪欲・瞋恚・愚癡)に囚われた人々の有様を説き、永遠に苦の輪廻から逃れられない状態を憂い、善根を積んで、阿弥陀仏のいる極楽に生まれることを勧める。

 

【五悪段】(サンスクリット文献にはなし)

 

浄土宗では、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五戒に背くこと

浄土真宗では、仁・義・礼・智・信の五常に背くこと

 

五悪を行う人々の有様を説き、永遠に苦の輪廻から逃れられない状態を憂い、善根を積んで、阿弥陀仏のいる極楽に生まれることを勧める。

 

【化生・胎生】極楽における二種の生まれ(衆生往生の果

 

化生

仏智を信じるものは、浄土の七宝の蓮に自然に生まれる

胎生

仏智を疑うものは、浄土の宮殿に生まれ、500年仏法僧を見ることが出来ない

 

(化生・胎生の区別があることを示すのが目的ではなく、阿弥陀仏を疑いなく信ずることを勧める為に説かれたと思われる。『観経』における下品中生と下品下生において、蓮の中から何劫もの間出られないことに類似。)

 

――ここから『昭和法要式』始まる――

 

【無量寿経を信じて念仏することの勧め】

 

其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此人 為得大利 則是具足 無上功德 是故弥勒 設有大火 充満三千大千世界 要当過此 聞是経法 歓喜信楽 受持読誦 修行 ・・・ 若有衆生 聞此経者 於無上道 終不退転  

 

それ、かの仏の名号(阿弥陀仏)を聞くことを得て、歓喜踊躍し、一度でも念仏すれば、この人は大利を得る、すなわち無上の功徳を具足すると知るべきである。

このゆえに、弥勒よ、たとい大火あって、三千大千世界に充満しても、かならずまさにこれを過ぎて、この経法(無量寿経)を聞いて、歓喜信楽し、受持読誦し、説かれたとおりに修行せよ。・・・もし衆生あって、この経を聞けば、無上道において終に退転せず(悟りを開くまで、後戻りすることはない)。

 

(浄土和讃「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」)

 

為諸衆生 此経法 令見無量寿仏 及其国土 一切所有 ・・・ 来之世 経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 其有衆生 値斯経者 隨意所願 皆可得度

 

衆生達の為に、この経法(無量寿経)を説き、無量寿仏とその国土(極楽)の全てのものを見せた。・・・未来に経道(経に説かれた悟りへの道筋)が無くなってしまうかもしれないが、慈悲を以って哀愍し、特にこの経を留めて、百歳まで(永遠に)とどめておこう。衆生有って、この経に会う者は、願いにしたがって、全員悟りの世界に行くことが出来る

 

如来興世 難値難見 諸仏経道 難得難聞 菩薩勝法 諸波羅蜜 得聞亦難 遇善知識 聞法能行 此亦為難 若聞斯経 信楽受持 難中之難 無過此難 是故我法 如是作 如是 如是教 応当信順 如法修行

 

如来の興世は、会い難く、見難い。諸仏の経道は、得難く、聞き難い。菩薩の勝法である諸々の波羅蜜を聞くことも難しい。善知識に遇って法を聞いてよく行ずることもまた難しい。もしこの経(無量寿経)を聞いて、信じて受持することがあれば、難の中の難であり、これ以上の難はない。そうであるから、私の法(悟りへの道、今の場合は念仏往生)は、[無量寿経として]このように作し、このように説き、このように教えるのであり、よく信順して、正しく(如法)修行しなさい(念仏しなさい)。

 

正信偈において、弥陀仏本願念仏  邪見憍慢悪衆生  信楽受持甚以難 難中之難無過斯

 

【結び】

 

経已 弥勒菩薩 及十方来 諸菩薩衆 長老阿難 諸大声聞 一切大衆 聞仏所 靡不歓喜

 

仏(釈迦仏)、経(無量寿経)を説き終わって、弥勒菩薩及び十方から来た菩薩達、長老阿難、大声聞達、全ての人達、仏の所説を聞いて喜ばないものはいなかった。


『無量寿経』の主題は、『阿弥陀経』と同じく、「極楽に生れることを願って念仏を称えれば、命終えて後に阿弥陀仏のまします極楽に生れることが出来る」である。

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